たとえ喩え

http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20051106#c1131376111
まず、お互いに勝手な推測はやめましょう。私の日記のカテゴリーに「religion」があります。分類を途中で面倒になってやめたので(お)大して分類されていませんが。遠い親類に日本民族学者や歴史家、牧師もいますし、祖父母はプロテスタントですから宗教に否定的でもないかと。幼児洗礼は否定している宗派(追記:2006/8/2 勘違いでした。父は幼児洗礼は受けてますが、洗礼は個人の自由だとしていて、勧められなかったからということでした。)なので私はクリスチャンではありませんが、聖書はもといアウグスティヌスの告白程度は読んでおります。古事記も読んだし、日本書紀岩波文庫で1巻だけは。般若心経を暗誦してみたら、もう後ろが半分以上出てこないですねえ。(と、宗教への興味を篤く語るとあれあれですが。現実に面識がある人へ。昔はこういう顔もありましたとさ。)

当然、モーセの神託は存じております。ですが、日本人の宗教上の食物禁忌は特殊だと私は思いますね。あれはどうも*****っぽい。(失礼。)


しかし、それは本筋から派手に外れていて、上の文で言いたかったのは喩えの悪さです。私がまず重要視するのは、ある団体がその外の人間が持つ権利を多少なりとも制限しているか否かです。ですから、

ヒンドゥーの人に牛肉をだまして食べさせ何ともないだろうと「啓蒙」する

というのは、その箇所がすっぽりと抜け落ちているので不適切な喩えだと考えました。主語その他が完全に入れ替わっております。そこでそれを戻して上のを足すと、

私が牛肉を食べようとしたら、ヒンドゥー教徒が集まって阻止しようとした

或いは、

米国その他が、鯨食を宗教上の理由から禁止すべきだと日本に言う。

となります。それに対して、鯨の竜田揚げを食べて何が問題ですか。さて、この喩えも依然すっぽり抜け落ちている箇所があるでしょう。で、私は同値類の取り方論争に興味はありませんので、どこが違ってどこが同じかはリストアップしてください。

うわ〜、しかしあれだ。この世界離れすぎた。聖句や逸話が湧き出してこない(死。
新生児を谷に投げ込んでいたのは何だったっけ?
まあ、もうこういう能力を失ったらしいので素直にあきらめますよ。
えっと、理屈が存在しないと宣言されたので、今後僕があなたには事実の提示だけしかできない、ことを残念に思います。で結びに代えておきます。