法学は社会科学か

日本十進分類法の話か。それならよく知っている。納得。ちなみに、僕はジュンク堂書店新宿店で法律書コーナーにいるといわれ、実用書の階->人文書の階->社会科学の階と全部回ったことが。


たぶん、私が法学を社会科学に分類しないのは、中世ヨーロッパでは、神学・法学・医学・哲学の四学部に分けていたことの印象が強いからだ。だから、神学は科学ではないし、医学も科学ではないし、法学も科学ではない。科学の影響を受けていてもね! そして残りは哲学の末裔。


ラムザイヤーの法と経済学の序文から。

米国の法学教育がロー・スクールという大学院のレベルで行われるため、法学を学びに来る学生は、必ず他の分野を専門科目として勉強した経験を持つ。10年前のハーバード大学等には、他の分野においてすでに修士号や博士号を持ちながら、米国の1970年代のオーバー・ドクターの状況を前にして、もとの分野をあきらめてロー・スクールに入って来た者もいた。正直にいえば、私もその一人であった。
ロー・スクールに入る前に大学院で他の分野の研究を行っていた学生は、法学を他の学問と絶えず比較していた。私たち方向転換組の学生は、他の学生と同じように講義に出て、判例を読み、優秀なものは、ロー・レビューの編集委員になったが、他の社会科学分野における経験を有していたため、伝統的な法学研究に対して、どうしても不満を持つことが多かった。はっきりいえば、それは、不満というよりも、根本的な点における法学に対する失望であったといえよう。
ロー・スクールで、私たちは、判例の整理・分析の仕方を習った。すなわち、各分野の判例や立法をどのように筋の通った形で整理するかを習い、無秩序に存在する判例や法律にどのように秩序正しい外観を与えるかを習ったのである。それは、私たちが弁護士として自立するために必要な技術であり、また、現在でも、私は学生に対して、そのような技術を教えている。そして、私が、学生時代に、そのような知的ゲームに一種の面白さを感じたのも事実であった。
しかし、判例や立法の整理が学問でないことだけは、明らかであろう。簿記の研究と同じく、それは単なる技術であり、社会科学的研究でもなければ、哲学でもなかった。そのような疑問は、ロー・スクールの講義で習った判例の整理についてだけではなく、ハーバード・ロー・レビューの編集委員として読んだ論文の大多数にも及んだ。その中には、講義と同じく判例に理屈を付けようとしている論文もあった。しかし、それらは私にはやはり物足りなかった。規範的研究も、実際の世界に及ぶ法の効果をシステマティックに研究した上で法制度の改革を提案したものではなく、著者の個人としての単なる政治的価値判断を発表したものにすぎなかったからである。若い研究者の多くが「法と経済学」の方法論を用い始めた理由は、この失望にあったと思う。
米国の伝統的な法学研究の誤りは、法を「法学」という学問として取り扱おうとしたところにあったのである。なぜなら、学問には研究の方法論 (methodology) が必要であるが、法学には (判例や立法の整理以外には) 何の方法論もなく、作ろうと思っても作れないからである。それは、「法」が研究方法の人つではなく (また、社会科学の分野の一つでもなく)、社会の一つの「現象」にすぎないからである。いい換えれば、「法」、「社会に対する法の影響」、または「法に対する社会の影響」等は、研究の方法ではなく、研究し得る客体にすぎないのである。そして、その法という客体を研究するには何らかの方法論が必要であり、法学にはその方法論が全くないため、社会科学的研究を行うには他の分野から方法論を持ち込まざるを得ないのである。
そこで現われた研究方法論と研究現象の一つの一致が「法と経済学」である。一言でいえば、それは経済学で発展させられた方法論を通して、法的現象を研究する学問なのである。もちろん、葬式の慣行を研究するのに、経済学だけではなく、人類学、社会学、心理学等を用いることが可能であるのと同じく、法制度の研究にも、様々な方法論を用いることができる。経済学は、多くの法的問題を解決するにあたっての重要な方法ではあるが、最終的には、多くの研究方法の一つにすぎない。したがって、経済学を用いてもよいし、社会学を用いてもよいが、何らかの方法論を社会科学から持ち込まなければ法学が学問になり得ないことだけは、明らかである。

遺伝的に反社会的行動が行われることが分かってきたので、責任主義に対する批判が米国では行われているが、日本ではどうかと聞かれてこう答えた。
法学というのはローマ時代から続く古い学問(?)というか社会現象であり、近代以前のロジックが残っています。アメリカでも、他分野のポスドクロースクールに流れ込んだ70年代80年代以降に初めて社会学としてのディシプリンを持ったと聞きますので、日本は30年は遅れるのではないかと思います。
少なくとも、大学院で説明される学説(、大抵はいくつかの主要な学説をやりますが、その)レベルでは、責任主義を認めないものはなかったと思います。
私も責任主義には、どこかしら不合理なものを感じるのですが。


日本の文系という語は、数学理科ができないことしか意味していない。僕は自分で簡単な計量社会学の調査をして、法学部生に見せたところ、「へえー、理系の研究は面白いね」っていわれてショックだった。ちげえよ、これはどっちかといえば法学よりも文系に分類されるよ!

科学の価値

自然科学の研究をした人は、いかに自然が豊かな構造をもち、いかに人の浅慮の及ぶものではないか、を知っている。だから、謙虚だ。それに対し、多くの分野は人が理解できるものしか扱わないから極めて尊大な態度をとる人が多い。この比較だけからも科学に触れる価値は十分導けると思う。

カント

カントはニュートン力学に影響を受けたと言う。では、一般相対性理論は哲学的にどう修正を加えるか。これは極めて面白い問題だ。しかし、物理学の発展により現代ではメタ概念から多くの概念が統一的に理解されている。その統一性に抵触しない差異でなければ本質的でないのが明らかで全く説得力がない。

文字

戦後に日本は当用漢字字体を、中国は簡体字を定めたので
それまでの旧漢字(繁体字とほぼ同じ)が分かりにくくなった。

当用漢字には下のような批判があった。
「虫」は本来ヘビという意味でキと読むが、「蟲」と書くのは面倒なので、「虫」と略字を使っていたのが採用された。
「戻」は、本来「戸」に「犬」が飛び込むことを表す会意文字であるが、「犬」の点を打つ手間を省くために「大」になってしまった。「器」も同様。
「為」は「爲」だが、これを草書体にしてさらに楷書にしたもので、歴史上全く存在していない字である。
書き換え範囲は当用漢字に限られた。「假」が「仮」になるならば、「瑕」は「王反」でいいじゃないか。「變」「戀」が「変」「恋」なのに「鸞」は変えないのか。
「己」「已」「巳」混ぜるなよ。「辨」「辯」「瓣」を「弁」にまとめるなよ。
なるほど、このように現在の新漢字がアドホックである、という批判は正しい。

本来、文字というのは、送り手と受け手とが合意をしていればよいものだ。通用するなら、早稲田式で書いても神代文字で書いてもいい。だから、文字は複雑化していく一方。康煕字典大漢和辞典の漢字は5万字ほどだ。それに対して、国家が整理した文字や国語を用意することはそれなりに意義がある。過去との連続性を絶つことで、古い文献の価値を下げたという人もいるが、結局、草書体、変体仮名、連綿体や上代仮名と読めなくては結局過去の文献は読めない。で、まあ、僕は代わりに字体の差異とされる範囲を拡大すべきじゃないかと思ってる。現代日本のとめはねや一点一画を定める漢字教育は異常だと思う。明治以前ならば、字体の差異として許容されていたであろう書き換えが現代では許されなくなったため、(字体の差異の拡大は変な表現だ。許容される字形・字体の範囲を広げる、だな。)却って無意味な書き分けを要求するようになった。

異体字

異体字文字コードを割り当てることは反対である。フォントのようにマークアップすればよろしい。考えてみたまえ。東アジアのマイナー言語のことを考えて世界のプログラマがプログラムを書くと思うのか? そうすると起きることは異体字の概念がデファクトスタンダードによって押しつぶされるだけだ。